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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)2481号 判決

原告

鬼澤とめ

右訴訟代理人

服部弘志

被告

株式会社日の出屋商店

右代表者

松本一男

右訴訟代理人

成田哲雄

主文

一  原告の主位的請求はいずれもこれを棄却する。

二  被告は原告に対し金一、二六九万三、九四二円および内金六四九万七、二七六円に対する昭和五〇年二月一日から、内金四六七万〇、六五七円に対する昭和五三年三月二四日から、内金一五二万六、〇〇九円に対する同年一二月一七日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告が被告に対し賃貸中の別紙物件目録第二記載の建物の賃料が昭和五〇年一月二一日以降一ケ月金七万八、〇〇〇円であることを確認する。

四  原告の予備的請求のその余の部分を棄却する。

五  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告のその余を被告の各負担とする。

六  この判決の主文第二項は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判〈省略〉

第二  当事者の主張

一  原告の請求原因

(主位的請求について)

1 原告は、昭和四一年九月一日以降別紙物件目録第二記載の建物(以下本件建物という。)を所有している。

2 被告は、右同日以降本件建物を占有使用している(以下本件行為という。)。

3 右同日以降の本件建物の賃料相当額(但し昭和五〇年一月二〇日まで)は別紙賃料明細表のとおりであり、また管理費相当額(本件建物が所在する新橋駅前ビル一号館(別紙物件目録第二記載のうち「一棟の建物の表示」に相当する。以下本件ビルという。)においては、「建物の区分所有等に関する法律」に基づく規約について、専有部分の建物の所有者は訴外新橋駅前ビル管理株式会社に本件ビルの管理を委託し、管理費(以下本件管理費という。)を支払つているが、これに相当する金額をいう。)は別紙管理費明細表(但し昭和五二年一一月分まで)のとおりである。また昭和五〇年一月二一日以降の本件建物の賃料相当額は一ケ月金七万八、〇〇〇円である。

4 なお、本件管理費相当額は、原告が本件建物の管理を委任した訴外新橋駅前ビル管理株式会社に支払つている管理費と同額であるから、賃料相当額同様に本件行為により原告が受けた損害であると同時に、被告は、本件行為により法律上の原因なく右管理費相当額の利益を受け、原告に対し同額の損失を及ぼした。

5 よつて、原告は被告に対し主位的に次のとおり請求する。

(一) 本件建物の所有権に基く明渡及び本件行為による賃料と同額の損害賠償として、別紙賃料明細表記載の合計金六五三万四、八一四円及び昭和五〇年一月二一日から右明渡ずみに至るまで一ケ月金七万八、〇〇〇円の割合による賃料相当額の金員の支払。

(二) 本件行為による管理費相当額の損害賠償又は不当利得の返還として、別紙管理費明細表記載の期間について同表記載の合計金一五二万六、〇〇九円及びこれに対する請求(右金員請求の意思表示が記載された昭和五二年一二月一六日付準備書面到達)の翌日である昭和五二年一二月一七日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払。

(予備的請求として)

仮に被告が、後記三「被告の抗弁」において主張するとおり、本件建物について賃借権(以下本件賃借権という。)を取得したものと認められるときは、予備的に次のとおり主張する。

1(一) 本件建物の借家条件につき原被告間に協議が調わなかつたため、原被告が昭和四一年一一月一七日東京都知事に対し連名で「公共施設の整備に関連する市街地の改造に関する法律」(以下、市街地改造法という)第四四条に基づく借家条件裁定の申立をしたところ、東京都知事は昭和四三年一〇月三〇日付で「(1)賃料は一平方メートル当り月額金二、四七〇円に公租公課の実額を加算した金額と定める。(2)敷金は右賃料の三ケ月分相当額と定める。」旨の裁定(以下本件裁定という。)をし、そのころ右裁定書は原、被告にそれぞれ送達された。(以下、これによる賃料を裁定賃料という。)

(二) 本件裁定に基づき、昭和四一年九月一日以降昭和五〇年一月二〇日までの間の本件裁定賃料を具体的に算定すれば、別紙賃料明細表記載のとおり合計金六五三万四、八一四円となる。

2(一) 原、被告は、原告を控訴人、被告を被控訴人とする東京高等裁判所昭和三八年(ネ)第二〇二九号請求異議控訴事件において、昭和三九年三月六日要旨左記のような訴訟上の和解(以下本件和解という。)をした

(1) 原告は被告に対し、昭和三九年三月一日以降別紙物件目録第一記載の建物(以下本件旧建物という。)を、東京都の実施する区画整理まで、敷金四〇万円、賃料一ケ月金三万五、〇〇〇円と定めて賃貸する。

(2) 被告は、右区画整理により東京都から受ける立退補償の二分の一を、原告に対し次の方法により支払う。

(イ) 立退補償金の給付を受けたときは、直ちにその二分の一を支払う。

(ロ) 立退補償金に代えて移転先用貸室の提供を受けたときは、双方から訴外株式会社日本勧業銀行に右貸室に対する賃借権価額の鑑定を依頼し、その鑑定価額が明示されたときは、その後一ケ月以内に右価額の二分の一を支払う。

(ハ) 立退補償金および右(ロ)の移転先用貸室の提供を受けたとき、またはその他の方法による移転補償を受けたときは、右(イ)および(ロ)を準用し、立退補償金およびその実質を有するものの価額の各二分の一を支払う。

(二) 被告は、立退補償金に代わるものとして、前記のとおり本件賃借権を取得した。

これは本件和解条項(2)(ロ)の「移転先用貸室の提供を受けたとき」に該当する。

(三) しかして、本件賃借権価額は、東京都が本件裁定を行う際に示した評価意見(必ずしも株式会社日本勧業銀行の鑑定評価であることを要しないと解する)に基づき算定した金九三四万一、三一四円と認めるのが相当である(その二分の一は金四六七万〇、六五七円となる。以下、これを本件和解補償金という。)。

3(一) 被告は、昭和四一年九月一日本件建物に対する使用収益を開始するに当り、原告に対し、右使用収益の対価として、後日協議ないし裁定により決定される一定額の賃料のほかに本件管理費相当額を合わせて支払う旨黙示的に約諾した。

現に被告は、右同日以降昭和四七年一二月三一日までの間は、右管理費相当額をその都度原告に支払つた。

(二) しかして、昭和四八年一月一日以降昭和五二年一一月三〇日までの間の本件建物の管理費として原告が支払つた額は別紙管理費明細表記載のとおり合計金一五二万六、〇〇九円である(以下、本件管理費という。)。

4(一) 本件裁定賃料は、その後の地価の高騰等により、比隣の建物の賃料と比較して、不相当に低廉なものとなつた。そこで、原告は、昭和五〇年一月二一日午前一〇時の本件第一九回口頭弁論期日において、被告に対し本件建物の賃料を右同日以降一ケ月金一〇万円に増額する旨意思表示した。(以下、本件増額請求という。)

(二) しかして、右同日現在における本件建物の適正賃料額は一ケ月金七万八、〇〇〇円であるから、本件建物賃料は、前記意思表示の結果、昭和五〇年一月二一日以降右金額に増額されたものである。それにもかかわらず、被告はこれを争つている。

5 よつて、原告は、被告が本件賃借権を取得したものと認められるときは、予備的に、被告に対し次のとおり請求する。

(一) 本件裁定賃料(前記1(二))、本件和解補償金(前記2(三))、本件管理費(前記3(二))の合計金一、二七三万一、四八〇円及びそのうち前記1(二)の金六五三万四、八一四円に対する最終の弁済期日の翌日である昭和五〇年二月一日から、同2(三)の金四六七万〇、六五七円に対する請求(右金員を請求する趣旨が記載された昭和五二年一〇月二八日付原告準備書面の到達)の翌日である昭和五二年一〇月二九日から、同3(二)の金一五二万六、〇〇九円に対する請求(右金員を請求する趣旨が記載された昭和五二年一二月一六日付原告準備書面の到達)の翌日である昭和五二年一二月一七日からそれぞれ支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払。

(二) 被告との間において原告が被告に対し賃貸中の本件建物の賃料債権は昭和五〇年一月二一日以降一ケ月金七万八、〇〇〇円であることの確認。

二  請求原因に対する被告の答弁

(主位的請求について)

1 主位的請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は認める。

3 同3の事実中、原告がその主張のとおり管理委託をし、支払つた昭和四八年一月分から昭和五二年一一月分までの本件管理費が原告主張の金額となることは認めるが、その余は否認する。

4 同4の事実は、本件管理費の支払を除き、否認する。本件管理費相当額は別紙賃料明細表の各月分賃料の中に算入されているから重複請求である。

(予備的請求について)

1 予備的請求原因1(一)の事実は認める。

同1(二)の事実中、本件裁定賃料算定の基礎となる昭和四一年九月一日以降昭和五〇年一月二〇日までの間の本件建物及びその敷地部分に相当する公租公課が別紙賃料明細表の該当欄記載のとおりであることは認めるが、被告の右裁定賃料支払義務は後記抗弁のとおり争う。

2 同2(一)の事実は認める。

同2(二)の事実は、被告が本件賃借権を取得したとの点を除き、否認する。本件賃借権は本件和解条項にいう立退補償に該当しない。仮に被告が本件賃借権を取得したことが本件和解条項(2)(ロ)に該当するとしても、本件和解条項(2)(ロ)は被告が原告から本件賃借権の設定を受ける対価として原告に対し本件賃借権価額の二分の一を支払うべきことを規定したものであり、これはとりもなおさず本件賃借権の借家条件を定める場合にその内容の一部とすることを規定したものにほかならない。ところで、本件賃借権の借家条件は前記のとおり本件裁定によつて定められることになつたものであるから、本件裁定中に右和解補償金に相当する金員の給付条項がない以上、原告は本件裁定に対する行政上の不服申立手続によつて右の給付条項を実現する以外に途はなく、これを本件訴訟において直接本件和解条項(2)(ロ)に基づく給付義務として請求をすることは許されない。現に原告は東京都知事に対する異議申立及び建設大臣に対する審査請求において、本件和解補償金に相当する本件賃借権設定の対価金七〇〇万円の支払を求めている。

同2(三)の事実は否認する。被告が本件賃借権を取得した当時、本件ビル中の東京都の専有部分の建物につき賃借人の募集がなされたが、借り手がないため結局本件裁定に準じた借家条件で一般の者に賃貸された。右事実に鑑みれば本件賃借権価額はゼロというほかはない。

3 同3(一)の事実中、被告が昭和四一年九月一日以降昭和四七年一二月三一日までの間の本件管理費相当額をその都度原告に支払つたことは認めるが、その余は否認する。被告が原告に対し右管理費相当額を支払つたのは、本件裁定未確定の段階での好意的措置であつて、右金員支払義務を認めたものではない。

同3(二)の事実中、昭和四八年一月一日以降昭和五二年一一月三〇日までの間の本件管理費相当額が別紙管理費明細表のとおりであることは認めるが、その余は争う。本件管理費は、裁定賃料の算定において経費中の「管理費」として算入されているから、裁定賃料の請求が認められるならば、本件管理費について不当利得が生じる余地はない。

4 同4(一)の事実中、本件増額請求があつたことは認めるが、その余は否認する。

同4(二)の事実中、原告主張の賃料額が適正額であるとの点は否認する。

三  被告の抗弁

(主位的請求について)

1 (本件賃借権の取得)

被告は、原告から本件旧建物を賃借していたところ、東京都は昭和三九年ころから本件旧建物敷地を含む新橋駅前一帯の土地について市街地改造法に基づく市街地改造事業(以下本件市街地改造事業という。)を施行した。そして、本件市街地改造事業において次の(一)ないし(三)の一連の行為がなされた結果、被告は、同法第四一条第一項の規定により昭和四一年九月一日本件賃借権を取得した。

(一) 東京都は、同法所定の手続を経て建築施設である本件ビルとその敷地の管理処分計画(以下本件管理処分計画という。)を定め、昭和三九年一一月一六日本件管理処分計画につき建設大臣の認可を受けたうえ、同月二一日これを公告するとともに、原、被告を含む右建築施設の譲受け又は賃借りの希望を申し出た者にこれを通知した。

(二) 本件管理処分計画において、原告は建築施設の部分すなわち本件建物と本件ビル敷地の共有持分権の譲受け予定者として、被告は施設建築物の一部(本件建物)を賃借りすることができる者としてそれぞれ定められていた。

(三) 右建築施設整備事業に関する工事は昭和四一年八月三一日完了したので、東京都は、昭和四二年七月二六日その旨公告するとともに、原、被告らを含め建築施設の部分の譲受け予定者および本件管理処分計画において施設建築物の一部を賃借りすることができる者として定められた者にこれを通知した。

2 仮に右市街地改造法第四一条一項による本件賃借権の取得が認められないとすれば、被告は、次のとおり、契約によつて昭和四一年九月一日本件建物の賃借権を取得した。

すなわち、昭和三九年春頃、原告は、本件和解を根拠に、被告が本件賃借権を取得することはできないと主張し、東京都に対してもこの旨を申入れ、他方、被告は、本件和解の際は、原告が本件旧建物の代りに施設建築物である本件建物を譲り受ける権利を取得できるとは予想していなかつたから、本件和解によつて規制されることはないと争つた。そこで東京都は、原被告の意見が一致しないときは原告は本件建物の譲り受け権を放棄し、本件旧建物取毀の補償金を受けるだけになるかも知れないと示唆した。

これがきつかけとなつて、原被告間でその頃、原告は本件建物の譲り受け権を取得するが、本件建物の所有権を実際に取得した時に、これを被告に賃貸するとの合意が成立した。(原告が昭和四一年九月一日本件建物の所有権を取得したことは主位的請求原因1のとおりである。)

(予備的請求について)

3 (本件裁定賃料の未確定)

本件建物賃料については原告主張のとおり本件裁定がなされたが、被告は、これを不服として、昭和四四年一月六日東京都知事に対し異議の申立をなし、昭和四九年六月一一日付で右異議の申立が棄却されるや、同年八月一七日建設大臣に審査請求をし、現にこれが係属中である。

右不服申立中は本件裁定は未確定であるから、被告の裁定賃料支払義務は未だ発生していないことになる。(この段階では、裁定という処分は存在しても、都知事対原告、都知事対被告の間に存在するだけであり、少くとも私法上の効力は生じない。)

にもかかわらず本件裁定賃料の給付請求の当否を本訴において判断することは、行政訴訟手続によらないで、市街地改造法第四四条に基づく東京都知事の行政上の権限に裁判所が介入、干渉することになり、許されない。同様に、本件増額請求の内容の当否について本件訴訟で判断することも、それが本件裁定を論理的前提とするものである以上、やはり許されない。

4 (賃料の弁済供託)

仮に被告に本件建物の賃料支払義務がすでに生じていたとしても、被告は、昭和四一年一〇月初めころ、原告に対し本件建物の同年九月分賃料として本件旧建物賃料と同額の金三万五、〇〇〇円を弁済のため提供したところ、原告からその受領を拒絶されたので、別紙供託一覧表記載のとおり同月五日これを弁済供託し、その後も原告の受領拒絶の意思が明白であつたので、同一覧表記載のとおり、本件建物の賃料として本件旧建物賃料と同じ一ケ月金三万五、〇〇〇円の割合による金員の弁済供託を継続してきた。

5 (本件和解補償金の放棄)

昭和三九年春頃、次のようないきさつで原告は本件和解補償金請求権を放棄した。もし放棄でないとすれば本件和解を原被告間で合意解約した。

すなわち、その頃原告は、本件和解調書を根拠に、東京都に対して、施設建築物である本件建物について被告は賃借権を取得できないと主張し、被告は施設建築物を原告が東京都から譲り受ける権利を市街地改造法によつて取得するという事態は本件和解当時予想しなかつたことであるから、本件和解によつて規制されないと争つた。これに対して東京都は、本件建物の賃貸借について原、被告間で意見が合致しないときは、原告に本件建物を譲り受ける権利を与えず、原告は本件旧建物取毀による補償金を受領するだけになるかもしれないと示唆した。東京都の右示唆がきつかけとなつて、原告は本件和解調書上の諸権利を放棄し(又は合意解約し)、原被告間には通常の賃貸借が存在することを認めて、本件建物の譲り受け権を確保したものである。

6 (管理費相当額の弁済)

仮に被告が原告に対しその主張のように本件管理費相当額の支払を約諾したとしても、被告は昭和四八年一月一日以降昭和五一年一二月三一日までの間の管理費相当額合計一一六万一、九六九円は、それぞれその支払義務発生当時、原告に対し支払ずみである。

四  抗弁に対する原告の答弁

1  抗弁1の事実中、被告が原告からその所有にかかる本件旧建物を賃借していたところ、昭和三九年ころから本件旧建物敷地を含む新橋駅前一帯の土地において東京都により本件市街地改造事業が施行されることになり、本件市街地改造事業において被告主張の(一)ないし(三)(もつとも、(三)のうち前記工事完了の公告および通知の日は昭和四二年七月二六日ではなく、昭和四一年八月三一日である。)の一連の行為がなされたことは認めるが、被告が市街地改造法第四一条第一項の規定により本件賃借権を取得したとの点は、後記再抗弁のとおり争う。

2  同2の事実は、原告が本件建物の所有権を取得した年月日のみ認め、その余は否認する。原被告間で争いが解決しないときは、原告に本件建物の譲り受け権を与えないというような越権行為を東京都が示唆するわけがない。

3  抗弁3の事実中、昭和四三年一〇月三〇日付で本件裁定がなされ、被告が異議の申立をし、さらに審査請求に至つた経過及び同審査請求が現に係属中であることは認めるが、その余は否認する。本件裁定は行政処分であるから、公定力があり、審査請求によつても効力は失われない。

4  抗弁4の事実中、被告が本件建物賃料として別紙供託一覧表記載のとおり弁済供託したことは認める。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は否認する。別紙管理費明細表の本件管理費相当額は全く弁済されていない。

五  原告の再抗弁

(主位的請求について)

1 (本件旧建物賃借権の消滅又は一時使用による本件賃借権の不発生)

市街地改造法第四一条第一項に基く施設建築物の賃借権は、市街地改造事業の施行により取毀される建物(以下旧建物という。)につき賃借権(一時使用のためのものを除く。以下旧建物賃借権という。)を有する者に対し旧建物賃借権喪失についての損失補償をなす趣旨で、旧建物賃借権の存在を要件として、法律上当然に発生させるものであり、反面、旧建物について賃借権がない者には、たとえ管理処分計画の決定及び通知がなされ、かつ工事の完了およびその公告、通知があつても、賃借権は発生しないものと解すべきである。

ところで、被告の本件旧建物に対する賃借権は、本件和解条項(1)に基づき、東京都の施行する本件市街地改造事業により本件旧建物が取毀しになるまでとの期限付きで発生したものであるから、右不確定期限の到来によりすでに消滅していたものである。仮にそうでないとしても、右期限までの短期間に限り存続させる趣旨が客観的に明らかな一時使用のためのものである。したがつて被告は、本件管理処分計画において施設建築物の一部である本件建物を賃借することができる者として定められ、かつその旨本件管理処分計画の決定通知を受けてはいるが、同法第四一条第一項所定の要件を欠くので、同条項により本件賃借権を取得することはできない。

2 (行政処分の当然無効)

仮に市街地改造法第四一条第一項の規定による賃借権取得の効果が管理処分計画の決定、通知により(工事の完了およびその公告、通知を条件として)発生するものであるとしても、被告に関する本件管理処分計画の決定(以下本件行政処分という。)には次に述べるように重大かつ明白な瑕疵があるから当然無効である。

すなわち、市街地改造法第四一条第一項に定める施設建築物の賃借権取得は、旧建物につき有した賃借権の消滅に対する損失補償の実質を有するものであるから、その管理処分計画の決定には旧建物賃借権の存在が重要かつ基本的な要件となる。ところが、本件行政処分は、被告の本件旧建物賃借権が、前記五1で述べたとおり、すでに消滅していること、仮にそうでないとしても一時使用のためのものであることを看過し、被告が旧建物賃借権(通常の賃借権)を有するものと誤認のうえ、被告を施設建築物の一部である本件建物を賃借りすることができる者と定め、これを通知したものであるから、右行政処分には重大な瑕疵があり、しかも、右瑕疵は本件和解調書の記載および本件市街地改造事業の施行自体から客観的に明白であるから、本件行政処分は当然無効というべきである。すなわち被告は本件賃借権を取得しない。

3 (賃料不払による契約解除)

仮に被告が本件賃借権を取得したとしても、本件賃借権は次に述べるとおり契約の解除により消滅した。

(一) 被告は、本件賃借権につき本件裁定により、別紙賃料明細表のとおり裁定賃料の支払義務を負うにもかかわらず、本件建物賃料は本件旧建物賃料と同額の一ケ月金三万五、〇〇〇円が相当であるとして、別紙供託一覧表記載のとおり二ケ月ないし一ケ年毎に一ケ月金三万五、〇〇〇円の割合による金員を弁済供託するのみであり、さらに、原告が本件増額請求をなした翌日である昭和五〇年一月二一日以降も依然として前同様の態度をとり続け、これら本件建物賃料額と被告の供託額との差額の累積額はすでに金四〇〇万円を超えるに至つた。以上のような被告の長期間に亘る著しい賃料債務不履行の結果原被告間の信頼関係は無催告解除が許される程度に破壊されるに至つた。

(二) そこで、原告は、昭和五一年八月二五日午前一〇時の本件第三三回口頭弁論期日において、被告に対し本件建物賃貸借契約を解除する旨意思表示した。

六  再抗弁に対する被告の答弁

1  再抗弁1のうち、被告の本件旧建物賃借権が終期付又は一時使用の目的のものであつたとの事実は否認し、その余は争う。仮に被告に本件旧建物の賃借権が無いか、一時使用のものであつたとしても、本件管理処分計画の確定によつて創設された被告の本件賃借権の効力は左右されない。

2  再抗弁2の事実は否認する。被告が市街地改造法第二一条の規定に基づいて昭和三九年五月二六日東京都に対し賃借り希望の申出をなすに際し、原告は、被告が本件旧建物につき通常の賃借権を有する旨の証明書(以下、本件借家権証明書という)を作成して、これを被告に交付し、右申出の添付書類として使用させているし、本件裁定の申立においても右賃借権を否定しなかつた。この事実からみても、被告に本件旧建物の賃借権があつたことは明らかである。

そうでないとしても、少なくとも原告は、本件借家権証明書の交付により、被告に対し、右申出をなすにつき必要な実体上の資格すなわち本件旧建物賃借権者たる地位を附与することを承諾したものである。いぜれにせよ本件行政処分には何ら瑕疵はない。

仮に瑕疵があつたとしても、本件借家権証明書作成、交付の事実に鑑みれば、原告主張の瑕疵は本件各処分の外形上客観的に明白なものとはとうてい言えない。

3  同3(一)の事実中、被告が、本件裁定後及び本件増額請求後も、本件旧建物賃料と同額の一ケ月金三万五、〇〇〇円の割合により、本件建物の賃料を別紙供託一覧表記載のとおり供託するのみであることは認めるが、それが無催告解除を許すような背信行為であるとの主張は争う。

すなわち、前述のとおり、本件裁定が未確定である以上、被告の本件裁定賃料支払義務は未だ発生しておらず、したがつてその不履行はありえない。

のみならず、仮に別紙供託一覧表の供託額では適正な賃料に不足があるとしても、その不足額の債務不履行は、本件裁定賃料をめぐる行政不服申立の係属中のことであり、借家法第七条第二項本文の場合と同様に、主観的に相当な賃料額を供託すれば、債務不履行責任を生じない性質のものである。

のみならず、原告は本件建物明渡を請求する本件訴訟を提起し、その訴訟手続の中で本件増額請求を仮定的になしているものであり、被告の本件賃借権を否定する態度をひるがえしたわけではないから、無催告解除が許される程度に原被告間の信頼関係が破壊されたものとはとうていいうことはできない。ちなみに、原告は供託の不足額が累績し、巨額であることを背信性の事由に挙げるが、裁定賃料の確定が延引しているのは、不服申立を審理する行政庁の責任の問題であつて、これを被告の背信行為に数えることは許されない。

同3(二)の事実は認める。

七  被告の再々抗弁

(禁反言)

仮に本件各行政処分に重大かつ明白な瑕疵があるとしても、原告は、前記六2のとおり本件借家権証明書を作成、交付して、被告をして東京都に提出させ、その結果、被告が東京都による市街地改造事業の施行として同年九月一日本件賃借権を取得したことを承認したうえ、被告と連名で本件裁定の申立をし、その後も被告の本件賃借権の取得を承認する態度を持続してきたものであるから、本件訴訟において今さら本件各行政処分が当然無効であるとして被告の本件賃借権の取得を否定することは禁反言の法理に照らして許されない。

八  再々抗弁に対する原告の答弁

再々抗弁事実中、原告が本件旧建物について被告に賃借権がある旨の証明書を作成、交付し、これが被告の東京都に対する本件建物(施設建築物)の賃借の希望の申出書の添付書類となつていること及び本件裁定の申立をしたことは認めるが、その余は否認する。原告は本件借家権証明書が被告に施設建築物である本件建物の賃借権を与えるための文書であるとは知らず、又これについて何の説明も与えられないまま署名、捺印して、被告に交付したものであるから、これにより被告の本件賃借権を容認したことにはならない。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一主位的請求についての判断

一主位的請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。

二抗弁1(「本件賃借権の取得」)の事実中、被告が原告からその所有にかかる本件旧建物を賃借していたところ、昭和三九年ころから本件旧建物敷地を含む新橋駅前一帯の土地において東京都により本件市街地改造事業が施行され、本件市街地改造事業において被告主張の(一)ないし(三)(もつとも、(三)のうち工事完了の公告および通知の日が昭和四二年七月二六日であるとの点は除く。)の一連の行為がなされたことは当事者間に争いがなく、前記工事完了の公告および通知の日は証人橋本定之の証言ならびに弁論の全趣旨により昭和四一年八月三一日であると認められる。(右認定に反する証拠はない。)

ところで、原告は、再抗弁1において、市街地改造法第四一条第一項の規定による賃借権取得の効果は、旧建物賃借人に法律上当然に発生する反面、旧建物賃借権を有しない者には、管理処分計画の定めがどうであろうと、施設建築物の当該部分の賃借権を取得する余地はないと主張するけれども、同条項の規定自体から明らかなとおり、施設建築物の一部分について賃借権取得の効果が生じるのは、工事の完了およびその公告通知を法定条件とする管理処分計画という行政処分の効力に基づくものである。従つて、当該管理処分計画が有効である限り、同計画において「施設建設物の一部を賃借りすることができる者として定められた者」は、たとえ旧建物賃借権を有していなかつたとしても、それだけの理由で施設建築物の一部に対する賃借権取得の効果を享受することが妨げられるものではない。

原告の右法律解釈は採用できないから、これを前提とする抗弁1は主張自体理由がない。

三原告は再抗弁2において、被告は本件旧建物賃借権を失つたか、あるいは一時使用の賃借権を有するに過ぎないのに、これを看過した本件管理処分計画には重大かつ明白な瑕疵が存在し、本件行政処分は当然無効であると主張するので、以下この点について判断する。

1  〈証拠〉によれば、被告の本件旧建物賃借権は、昭和三九年三月六日成立した本件和解により、本件旧建物が東京都による本件市街地改造事業により近く取毀しになることが原被告間でも明らかになつていたところから、右取毀しまでの短期間に限り存続させるものと合意されたものであることが認められる。してみると本件旧建物賃借権はいわゆる一時使用のためのものであることは明らかであり、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

そうすると、市街地改造法第二一条第二項、第二条第一〇号により、被告は「賃借り希望の申出」をする資格がなかつた者であり、この事実が看過されなかつたならば、被告が本件賃借権を取得する余地はなかつたものである。

してみれば、本件管理処分計画のうち被告の本件賃借権取得に関係する部分の右瑕疵は重大なものであるといわなければならない。

2 しかしながら、市街地改造法第二一条第二項、同法施行規則第一〇条第二項ないし第四項により、施設建築物の一部の賃借り希望の申出をなそうとする者は、その申出書に、右条項所定の様式による借家権証明書(これによりえないときはその者が旧建物賃借権を有することを証する書類)を添付することを要し、かつ施行者は、右賃借り希望の申出があつたときは、遅滞なく、その旨を譲受け希望の申出をした者には通知しなければならないものと定めて、施行者において、旧建物の賃借権の存在及びそれが一時使用のためのものでないことの確認に過誤を生じないように手続的な保障を設けている。ところが〈証拠〉によれば、

(一)  原告は、被告が昭和三九年五月二六日東京都に対し賃借り希望の申出をなすに際し、被告が本件旧建物につき旧建物賃借権を有する旨の借家権証明書を作成して被告に交付し、右申出書の添付書類として使用させた。その後同年六月二三日付をもつて原告は、施行者である東京都から、被告が右賃借り希望の申出をした旨の通知を受けたが、これについても被告に本件旧建物賃借権が無いとか、或はそれが一時使用のためのものである等の異議を申し立てたことはなかつた。

(二)  そこで東京都は、被告が本件旧建物につき一時使用でない旧建物賃借権を有するものと判断し、本件管理処分計画を定めたうえ、原被告に対し本件行政処分をなしたものである。

との事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実と前記市街地改造法第二一条第二項、同法施行規則第一〇条第二項以下の各規定によれば、前記1の瑕疵の存在が本件行政処分の上で明白であるとはとうていいうことができない。

3  してみれば、原告の前記当然無効の再抗弁は理由がなく、被告は昭和四一年九月一日本件管理処分計画の定めるところに従つて本件賃借権を取得したものというべきである。

四そこで原告の賃料不払による契約解除の再抗弁について判断する。

(一)  再抗弁3(一)の事実中、昭和四三年一〇月三〇日付で本件裁定がなされた後も、被告は、本件建物賃料は本件旧建物賃料と同額の一ケ月金三万五、〇〇〇円が相当であるとして、別紙供託一覧表記載のとおり二ケ月ないし一ケ年毎に右の割合による賃料の弁済供託を続け、さらに、原告が、予備的請求原因4(一)のとおり、昭和五〇年一月二一日本件増額請求の意思表示をした後も、依然として前同様の賃料額で供託を続けてきたことは当事者間に争いがない。

(二)  被告は本件裁定に対して不服申立中であることを理由に、本件裁定に基く賃料債務はいまだ原被告間において効力を生ずるに至つていないと主張する。そして、抗弁3のうち、被告が本件裁定に対し、異議を申立て、さらに審査請求をしていることは当事者間に争いがない事実である。

しかし、市街地改造法第四五条の規定によれば、借家条件の裁定があつたときは、裁定の定めるところにより、当事者間に協議が成立したものとみなされるのであるから、本件裁定の成立により直ちに被告は本件裁定賃料の支払義務を負うに至つたものであり、本件裁定に対する不服申立は、裁定の右効力の発生を妨げるものでないことは明らかである。(行政不服審査法度三四条第一項、第四八条参照)。所論は採用できない。

また、本件建物賃料は、本件増額請求の結果昭和五〇年一月二一日以降、一ケ月金七万八、〇〇〇円に増額されたことは後記第二、四で述べるとおりである。

(三)  そうすると、被告は昭和四一年九月一日以降少くとも右各賃料と供託額との差額については、その支払を怠つており、その累積額は、原告主張のとおり、金四〇〇万円を超えることは計算上明らかである。

しかしながら、〈証拠〉によれば、被告は、本件裁定に対する審査請求の決着がつくまでの間は本件裁定による賃料の支払義務はいまだ発生せず、借家法第七条第二項の規定に基づき自己において相当と認める金額を供託すれば足りるものと考え、右考えの下に前記のとおり弁済供託を継続してきたものであるが、右不服申立手続が完結し、不足が明らかになつたときは、これを支払うに吝かでないとの態度を表明していることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

もつとも、市街地改造法第四四条による施設建築物の賃料の裁定については借家法第七条第二項の類推適用はないものと解すべきである。けだし、右裁定は、賃貸借の目的物が従前とは全く別個の建物が出現したことに基づくものであり、賃料額の決定手続ではあるが、目的物の同一性があり、単に継続賃料の当否をめぐる紛争を解決する制度とは本質的に異り、また、借家法第七条第一項にいう従前の借賃はここには存在せず、従前の借家権とは全く別個の借家権設定に伴う賃料額の決定手続にほかならないからである。したがつて、借家法第七条第二項の類推適用ありとして、旧建物の賃料と同額を供託するにとどめる被告は、少くともその不足額について債務不履行があることは否定できない。

けれども、右の認定事実から明らかなとおり、被告が前示の賃料不足額の支払を遅滞しているのは、市街地改造法第四四条、第四五条、行政不服審査法第三四条第一項、借家法第七条第二項等の規定の解釈を誤つたがためであり、この種の裁定が世人の容易に見聞できない事象であることを考えるならば、被告の右誤解にもやむをえないものがあり、右不履行の故に、直ちに原被告間の本件建物賃貸借関係を無催告で解除することが許される程に信頼関係を破壊したものとは認めることができない。被告の供託不足額が相当な高額に達していることを斟酌しても、原告の本件無催告解除を容認するには足りず、その他本件全証拠によつても無催告のまま解除権を行使させるのが相当であるような事情を認めることはできない。

(四)  してみれば、原告が、再抗弁3のとおり、本件建物賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがないけれども、それが前記未払賃料の支払を催告のうえなされたものであることの主張立証のない本件においては、その効力を生ずるに由ないものといわなければならない。

五右のとおりであるから原告の主位的請求のうち、本件建物の明渡を求める請求及び不法占拠による損害賠償を求める請求は理由がない。(なお、本件管理費相当額の不当利得金返還請求も後記第二、三(一)のとおり、管理費負担の合意が認められるから、やはり理由がない。)

第二予備的請求についての判断

一(一)  予備的請求原因1(一)の事実および同1(二)の事実中、本件裁定賃料の計算に加えられる公租公課の昭和四一年九月一日以降昭和五〇年一月二〇日までの間の金額(年額)が別紙賃料明細表の該当欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

右各事実に基づいて算定された昭和四一年九月一日から昭和五〇年一月二〇日までの本件裁定賃料の具体的金額は、別紙裁定賃料計算書のとおりであり、合計金六四九万七、二七六円となる。(原告主張の別紙賃料明細表の裁定賃料額は、いずれも毎月の賃料額の算出に当つて円未満の端数を計上しているが、賃料は月毎に支払うべきものであるから、一年分の合算に当つても円未満の端数は切捨てたうえ計算すべきである。また同表番号1及び9の計算は、一年に満たない期間であるのに、一年分の公租公課相当額を加算している点で、計算方法に誤りがある。)

そして被告が本件裁定賃料の支払義務を負うものであることは、第一、四(二)において述べたとおりである。

(二) もつとも、被告が本件建物賃料として別紙供託一覧表記載のとおり弁済供託していることは前記第一、四(一)で述べたとおりであるが、右弁済供託はいずれも無効なものである。

すなわち、まず、本件裁定に係る昭和四一年九月一日以降昭和五〇年一月二〇日までの期間について、賃料として供託された額は、本来の債務額(本件裁定賃料月額)に対し、最も高率な場合でも五六パーセントに満たないものであり、とうてい債務の本旨に従つたものとはいえないから弁済の効力を生ぜず無効である。(本件裁定について借家法第七条第二項の類推適用がないことは前述のとおりである。)

次に、本件増額請求がなされた昭和五〇年一月二一日以降の賃料として供託されたものについては、借家法第七条第二項の適用があるけれども本件の場合、同条項にいう「相当と認むる借賃」とは少くとも従前の借賃である本件裁定賃料額が基準とならなければならないものである。ところが被告のなした弁済供託額は、右従前賃料額の五六パーセントにさえ満たないものであるから、相当性の判断に当つて賃借人側の主観的因子を十分考慮しても、とうてい右「相当と認むる借賃」には該当せず、債務の本旨に従つた弁済供託とは言えない。したがつて、本件増額請求の効力の判断(後記四参照)をまつまでもなく、右供託もまた無効なものと言うべきである。

(三)  してみれば、被告は原告に対し前記(一)の未払賃料合計金六四九万七、二七六円の支払義務を負うものというべきである。

二次に本件和解補償金の請求について判断する。

(一)  予備的請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがなく、同2(二)の事実中、被告が本件賃借権を取得したことは当事者間に争いがない。被告は、本件賃借権の取得は本件和解条項にいう立退補償に該当しないと争うけれども、本件和解条項は、被告が本件市街地改造事業の施行により本件旧建物の賃借権を失い、しかも移転先の提供を受けられない場合は施行者から立退補償金が支払われることを予定して、右立退補償金の支給があつたときは、その二分の一を原告に支払うことを約し、もし、立退補償の全部又は一部が、金銭でなく、移転先(貸室)の提供という現物支給の形式をとる場合には、その貸室賃借権の時価を鑑定し、評価額の二分の一を、同鑑定結果が当事者に明示されたときから一箇月以内に、原告に支払うことを約したものであることは明らかである。

そうすると、施設建築物である本件建物について被告が取得した本件賃借権は、本件和解条項に定められた立退補償金に代る移転先の提供にほかならないから、被告は、本件賃借権の評価額の二分の一を本件和解補償金として原告に支払うべき義務があるものというべきである。

なお、被告は、本件和解条項(2)(ロ)は、将来取得することのある賃借権の借家条件を予め規定したものであるとの見解の下に、本件和解補償金は、本件建物の借家条件を定めた本件裁定においてその給付義務が定められるべきものであり、同裁定中でその給付義務が認められないのに、本件訴訟において直接これを請求することは許されない旨主張するけれども、本件和解条項を被告の主張するような趣旨に解すべき何の根拠も見出し得ない。所論は採用できない。

(二)  被告は抗弁5において、本件和解条項は合意解約されたか、そうでないとすれば、原告が本件和解補償金請求権を放棄したと主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はない。右抗弁は失当である。

(三)  そこで本件賃借権価額につき判断する。

〈証拠〉によれば、東京都知事は、本件ビルの各専有部分(本件建物を含む)につきなされた申立に基づき借家条件の裁定(本件裁定を含む)として賃料額を定めるに当り、本件ビルの階層毎に専有部分の建物およびこれに附随する本件ビル敷地共有持分権の価額を算定し、近傍類似の取引実例等を総合的に勘案して、本件賃借権の価格相当額を金九三四万一、三一七円(本件建物及びこれに伴う敷地持分権の合計価額一、四三七万一、二五七円(一平方メートル当り金六〇万〇、五五四円)の六五パーセント)と認定したうえで、本件裁定賃料を算定した(右合計価額から右借家権価格を控除した残額を家主の投下資本として利回り計算した)こと、右の算定、認定等は、東京都知事が市街地改造法第四四条第一項、第三項、同法施行令第一九条、同法施行規則第一九条に定められている審査委員五名全員の同意を得てなされたものであり、同審査委員中には不動産鑑定士の資格を有する者二名が含まれていることが認められる。

もつとも、鑑定人大河内一雄の鑑定の結果中には、本件賃借権が本件旧建物賃借権と同一物であるとの見解の下に昭和四一年九月一日現在における本件賃借権価額を本件旧建物賃借権価額と同額の金五八八万円と鑑定する旨の意見があるが、本件旧建物賃借権と本件建物賃借権とは別個のものであるから、右鑑定部分は採用できないし、同鑑定結果中のその余の部分も、いまだ右の認定を覆えすに足りず、他に右認定を左右する証拠はない。

(四)  してみれば、被告は本件和解条項に基づく和解補償金として、原告に対し、前記評価額九三四万一、三一七円の二分の一以内で原告が主張する金四六七万〇、六五七円の支払義務があることは明らかである。

なお、右金額は「日本勧業銀行」(現第一勧業銀行)に鑑定依頼した結果ではないけれども、鑑定は専門的知識経験に基づく意見であり、その知識経験において同等程度であれば代替することも可能な性質の作業であり、本件和解条項の鑑定人に関する定めも、これを同等程度の鑑定人の鑑定評価に委ねることまでも禁止した趣旨と解すべき証拠はない。そして、東京都知事が本件裁定をなすに当り同意を得た審査委員の構成は前示のとおりであり、しかも不動産鑑定士二名を含む審査委員五名全員の同意を得ていることに鑑みれば、右裁定の結果をもつて本件和解補償金額を認定することは、本件和解条項の趣旨に反するものではない。

三次に本件管理費請求について判断する。

(一)  予備的請求原因3(一)の事実中、被告が昭和四一年九月一日以降昭和四七年一二月三一日までの間の本件建物の管理費相当額をその都度原告に支払つたことは当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉によれば、東京都知事は、本件建物使用収益の対価として、本件裁定賃料とは別に、原告が新橋駅前ビル管理株式会社に支払うべき管理費相当額を被告が負担することを前提として本件裁定をなしたものであること、したがつて、本件裁定賃料額の算定にあたつては、右管理費は賃貸経費として計上されていないことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

以上の争いがない事実及び認定事実によれば、被告は、昭和四一年九月一日本件建物に対する使用収益を開始するに当り、原告に対し右使用収益の対価として、後日協議ないし裁定により決定される一定額の賃料のほかに、本件建物の右管理費相当額を負担し、これを原告に支払うべき旨を黙示的に約諾したものと認めるのが相当である。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二)  予備的請求原因3(二)の事実中、昭和四八年一月一日以降昭和五二年一一月三〇日までの間の本件建物の管理費相当額が別紙管理費明細表記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

(三)  被告は、右管理費相当額を弁済したと抗弁6において主張するが、本件全証拠によるも同抗弁事実を認めることはできない。

(四)  したがつて、被告は原告に対し前記(二)の管理費相当額の合計金一五二万六、〇〇九円の支払義務があるというべきである。

四次に本件増額請求について判断する。

(一)  予備的請求原因4(一)の事実中、原告が昭和五〇年一月二一日、本件増額請求をしたことは当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右同日現在における本件建物の適正賃料額につき判断する。

〈証拠〉によれば、本件建物の近隣の建物の賃料は、昭和四一年九月一日ころから昭和五〇年一月二一日ころまでの約九年間に、およそ三年毎に二割程度の値上げがなされた例が多いこと、昭和四一年九月一日現在における本件建物賃料を本件旧建物賃料からのいわゆる継続賃料と見た場合、その適正額は一ケ月金四万五、〇〇〇円となるが、これを前提としても、昭和五〇年一月二一日現在における本件建物賃料は、いわゆる積算式評価の手法によれば一ケ月金七万八、〇〇〇円が適正額となり、同じく本件旧建物の賃料と継続性があるものとして、昭和三九年三月当時の本件旧建物の賃料月額三万五、〇〇〇円(うち公租公課分四、一七九円)に昭和五〇年一月時点における東京都区部総合消費者物価指数の上昇率を乗じたいわゆるスライド方式(但し、公租公課分については同比率によらず実額加算)による金額は月額八万二、四二〇円となることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

また、昭和四一年九月当時の本件裁定賃料月額六万二、七八四円のうち公租公課を除いた額を基準として、物価指数比により昭和五〇年一月当時の賃料を試算してみても、昭和四五年を一〇〇とした場合に、昭和四一年の東京都区部総合消費者物価指数は80.4、同家賃地代指数は83.6、昭和五〇年一月はそれぞれ163.4及び140.4であるから(東京都統計年鑑昭和五〇年度参照)、右総合消費者物価指数比によれば一ケ月金一二万〇、一二五円(円未満切捨)、家賃地代指数比によれば一ケ月金九万九、二六五円(円未満切捨)となる。

以上の各事実をあわせ考えれば、昭和五〇年一月二一日当時の本件建物の適正賃料額は原告主張の一ケ月金七万八、〇〇〇円を下廻ることはないものと認めるのが相当である。右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(三)  右(一)、(二)の事実によれば本件建物賃料は昭和五〇年一月二〇日当時すでに地価の高騰、公租公課の増徴等により不相当に低廉になつており、同月二一日以降少くとも原告主張の一ケ月金七万八、〇〇〇円に増額されたものと認められる。

そして被告が右賃料額を争つていることは被告の自認するところである。

なお、被告は本件裁定に対し不服申立中であることを理由に、行政訴訟手続によらないで本件増額請求について本件訴訟で判断することは許されないと主張するけれども、本件裁定により被告に本件建物の賃料支払義務が生じていることは前述のとおりであるから、これを前提として、右賃料の増額請求を通常訴訟手続で判断することは、なんら行政権の行使に司法権が介入することにはならない。所論は採用できない、

五してみれば、被告に対し前記一(三)、二(四)及び三(四)の合計金一、二六九万三、九四二円およびそのうち前記一(三)の未払賃料合計金六四九万七、二七六円に対する最終の弁済期日の翌日である昭和五〇年二月一日から、前記二(四)の本件和解補償金四六七万〇、六五七円に対するその請求の意思表示が記載された昭和五二年一〇月二八日付原告準備書面が、また前記三(四)の本件管理費相当額金一五二万六、〇〇九円に対するその請求の意思表示が記載された昭和五二年一二月一六日付原告準備書面が、それぞれ被告に対して陳述された翌日であることが記録上明らかな昭和五三年三月二四日から(右以前に、上掲各準備書面が被告に到達したことの確証はない。)それぞれ支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、かつ被告との間において、原告が被告に対し賃貸中の本件建物の賃料が昭和五〇年一月二一日以降一ケ月金七万八、〇〇〇円であることの確認を求める限度で原告の予備的請求は正当である。

第三結論

よつて、原告の主位的請求はすべてこれを棄却し、予備的請求は、第二、五の限度でそれぞれ認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(山本和敏 松尾政行 瀧澤泉)

別紙〈省略〉

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